湖畔の村 · トゥールガウ州
Ermatingen
ボーデン湖西部ウンター湖の南岸にあるトゥールガウの漁村。下湖で最大の三角州の上に建ち、ライヒェナウ島と向かい合う。
Ermatingenは、ボーデン湖の西の腕であるウンター湖の南岸に位置し、ライヒェナウ島と向かい合う。村は、村の小川ドルフバッハが最終氷期以来つくり続けてきた三角州の上に開けた。ウンター湖で最大の三角州である。標高およそ396メートルの湖岸から、市域は南の境をなす森のゼーリュッケンの613メートルまで上がる。村そのものは標高402メートルあたりにあり、木組みの家々が湖を向いている。1975年6月1日以来、ErmatingenとTriboltingenは一つの市を成し、2023年の人口は3,748人。国の重要性をもつ保護対象集落景観の連邦インベントリーに記載されている。
この岸辺を長く支えてきたのは漁である。村には今もおよそ半ダースの職業漁師がいる。もっとも目に見える祭りはその名を受け継いでいる。グロッペンファスナハトは、かつて曳網で数千匹単位で獲れ、今では稀になった小魚グロッペに由来する。祭りは復活祭の3週間前、レターレの日曜に当たり、近隣の謝肉祭がとうに終わったころに行われる。3年に一度の大グロッペ行列にはおよそ20,000人が集まる。土地の言い伝えは祭りの起源を1415年、コンスタンツ公会議の時期に置く。3月20日に逃れた対立教皇ヨハネス23世が、この村で身を寄せ、グロッペの食事を供されたという。別の説は、まず漁の解禁を祝う民衆の祭りだったとする。
岸辺の居住はさらに古い。湖岸集落ヴェスターフェルトとビューゲは、1861年に初めて手が入り、1981年から1983年にかけて調査され、紀元前4000年から前2500年のプフィン文化、ホルゲン文化、縄目文土器文化の遺物を出した。2022年のボーリング調査により、国の重要性をもつビューゲの遺跡はおよそ3,000平方メートルに及ぶことが分かった。地名が文字に現れるのは724年、Erfmotingasという形で、ライヒェナウ修道院の創設文書においてである。カール・マルテルがこの集落を修道院に寄進し、対岸とのこの結びつきは形を変えながら1798年まで続いた。
この場所が特別な理由
Ermatingenでは、同じ場所で同時に読み取れることの少ない二つの時間の尺度が重なっている。ヴェスターフェルトとビューゲで掘り出された紀元前4000年から前2500年の杭上集落と、暦がいまなお一匹の魚に左右される湖岸の村である。グロッペはレターレの日曜の謝肉祭に名を与え、その祭りは他所より3週間遅い。二つのあいだには、724年の文書と、1546年から二つの宗派が共有してきた教会がある。
歴史と成り立ち
村が載っている地面は三角州である。ウンター湖で最大のドルフバッハの三角州で、最終氷期以来、バイエルンから運ばれた雲母質の砂とアルプス起源の礫岩からなるモラッセの上に積み上がり、その上をモレーンが覆う。市域にはさらに、ライン氷河が運んできたトゥールガウ州最大の迷子石グラウエ・シュタインがある。文字による歴史は724年のライヒェナウ修道院への寄進に始まる。1499年にはシュヴァーベン同盟の軍が村の大部分を焼き、1660年に市場開催権を得た。教会は1546年以来、改革派とカトリックが共に用いている。
見どころと過ごし方
- ライヒェナウ島の対岸で、下湖(ウンターゼー)畔をドルフバッハ川のデルタ——このボーデン湖の支流で最大のもの——まで歩く。
- ライン氷河が運んだトゥールガウ州最大の迷子石、グラウエ・シュタインを見つける。
- 湖に面した漁村の木骨組みの家並みと、1546年以来改革派とカトリックが共用する教会を見る。
カップルで楽しむ
- 夕暮れ時にライヒェナウ島を望みながら下湖畔を歩く。
- ライン氷河が運んだトゥールガウ州最大の迷子石、グラウエ・シュタインを二人で探す。
- 漁師の家々のすぐそばにある、1546年以来改革派とカトリックが共用してきた教会の前で足を止める。
所在地
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