城の村 · アジョワ

プルジューズ

アジョワの森に囲まれた支谷に、岩の突端へ1100年ごろ築かれた城の下で身を寄せる農の集落。円形の主塔が今も残る。

この画像は自由ライセンスの写真をもとに Swiss Highlights が制作した派生イラストです。

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プルジューズはアジュエルの小川の支谷、バロッシュ地方にあり、アジョワの東部、褶曲ジュラの麓に位置する。閉じた土地である。森に覆われた高みが取り巻き——北にラ・ショー、東にレ・ゼジョラ、南に最高点825メートルのグランド・ロッシュ——その稜線をライン川とローヌ川の分水嶺が通っている。村そのものは標高580メートル、白い漆喰と茶色い屋根の農家が並ぶ一本の道に尽きる。教会はなく、シャルモワユの小教区に属する。代わりに1881年建立の礼拝堂がある。

村をつくったものは、村の上にある。岩の段の上に、プルジューズの領主たちが1100年ごろ城を築いた。当初の部分としては、周壁と、入口を高い位置に設けた円形の主塔が残る。14世紀末、この城はバーゼル司教領のものとなり、その後さまざまな貴族家に封として与えられた。より新しい居館部分は1980年に焼け、以後、建て直されている。

地名は城壁より古い。すでに1105年、出身を示す呼び名Lutfrido de Pluiusaとして現れる。ラテン語のpluviosus、「雨の多い」に由来し、ここの天候を指すとも、雨で水嵩を増し、村がそれに沿って並ぶ小川を指すともいわれる。ドイツ語では長らくNùwenburc、のちにBlutzhusenと呼ばれた。プルジューズはもはや自治体ではない。2009年1月1日、Asuel、Charmoille、Fregiécourt、Miécourtと合併してLa Barocheとなった。当時はジュラ州で最も小さな自治体のひとつで、2007年末の人口は91人、面積1.8平方キロメートル、その三分の二は森だった。

この場所が特別な理由

目を引くのは規模の落差である。1.8平方キロメートルの谷にひと握りの農家、そしてその上に1100年ごろ築かれた城。この城が土地にドイツ語の名を与え、存在する理由を与えた。入口を高くした円形の主塔は当初の部分に属する。周囲では森が地面の三分の二以上を覆い、谷を南で閉ざす稜線がライン川とローヌ川の流域を分けている。

歴史と成り立ち

プルジューズはアジョワの運命をともにした。アジョワは1271年にバーゼル司教侯領に入り、この地は16世紀から18世紀までアルの代官区に属した。1793年から1815年まで村はフランス領で、はじめはモン・テリブル県、のちオー・ラン県だった。ウィーン会議は1815年これをベルン州に戻し、1979年1月1日、ジュラ州の創設とともにそちらへ移った。人口は減り続けた。1850年に239人、1990年には76人、その後わずかに持ち直している。

見どころと過ごし方

  • 1100年頃に岩の張り出し部分に築かれた城の、入口が高い位置にある円形の主塔を眺める。城壁とともに現存する当初の遺構のひとつである。
  • 白いしっくい壁と茶色い屋根の農家が立ち並ぶ、村の唯一の通りをたどる。
  • シャルモワイユ教区に属するこの村の教会代わりとなっている、1881年建立の礼拝堂を訪れる。
  • 谷を閉ざす高地から、標高825メートルのグランド・ロシュの尾根を通るライン川とローヌ川の分水嶺に注目する。

カップルで楽しむ

  • 村から、谷にわずかに点在する農家と、1100年頃からそれらを見下ろしてきた要塞との対比をじっくり眺める。
  • わずか1.8平方キロメートルの領域の三分の二が森林に覆われた、木々の茂る谷を歩く。
  • 1980年の火災後に再建された城の居館の前で立ち止まる。

所在地

この場所の確認済み座標をもとに、要求時にGoogleマップのインタラクティブ表示を読み込みます。

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